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日本文学

最近英語で教える日本文学のクラスでは夏目漱石の『こころ』を話し合った。クラスのエリス先生は日本人で、とてもやさしい先生である。最初の授業ではトロント大学の榊敦子先生を知っているのを私に言った。

『こころ』を話し合ったときに私は日本で住んでいる日本文学の研究者の意見を聞きたいと思って、『こころ』についての近代解釈のことを挙げた。エリス先生は何も答えなかった。でも授業の終わりにある学生は大きい声で「変な解釈は何のことか」と聞いた。しかたがなくて、私はあるトロントのクラスで読んだ榊敦子の記事の内容を伝えた。一つの解釈は『こころ』の主人公「私」が「先生」の奥さんに愛に落ちて、恋人になって、「先生」の自殺の後一緒に住むようになったのことだ。も一つのは「先生」と「私」は同性愛者だったのことだ。私は自分でもちろんこの解釈が不賛成で、大嫌いだ。でもクラスの欧米の学生たちは私の言葉を聞いて突然「私も、私も、『こころ』を読んで同じ意見があった」と言いはじめた。エリス先生は怒らなかったけど、自分がこの話が大嫌いようで、みんなさんの言葉を聞いて「東京大学ではこのようなことはいつも言いません」と言って授業を終わった。

いったいどうして私も分からないアメリカでは日本文学の変な解釈が現るか。現るだけではなく有名な雑誌で印刷されて大学の授業で教えられる。

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